今いくよ・くるよの死因と壮絶な闘病|天国で再会した二人の半生
昭和から平成の演芸界の第一線を駆け抜け、女性漫才師の歴史を大きく塗り替えた吉本興業の至宝「今いくよ・くるよ」。派手な衣装と細身の体を駆使したテンポの良いボケ・ツッコミ、そして誰からも愛された「どやさ!」のフレーズは、今も多くの人々の記憶に鮮明に刻まれています。
2015年に胃がんで旅立った今いくよさん、そして後を追うように2024年に膵臓がんで天国へと旅立った今くるよさん。2026年を迎えた現在も、ふたりが築き上げた唯一無二の絆や後輩たちへ注いだ温かな情熱は、お笑い界の確固たる道標として語り継がれています。高校時代の出会いから生涯続いた深い友情、壮絶を極めた闘病生活の真相を振り返ります。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:今いくよさんは胃がん(2015年逝去)、今くるよさんは膵臓がん(2024年逝去)により惜しまれつつ生涯を閉じました。
- 要点2:京都明徳商業高校のソフトボール部でバッテリーを組んだ青春時代から、50年以上にわたり一度も解散危機のない固い絆を誇りました。
- 要点3:上方漫才大賞をはじめ数々の栄冠に輝き、中川家ら後輩芸人からも実の母のように慕われ続けた上方演芸界の偉大なレジェンドです。
【死因と闘病の真相】今いくよ・くるよが駆け抜けた壮絶な最期
多くのファンに笑顔を届け続けたふたりですが、その晩年はともに過酷ながんとの闘いでもありました。
先に病魔に倒れたのはツッコミの今いくよさんでした。2014年9月、体調不良を訴えて病院を受診したところ胃がん(ステージ3)と診断。当時予定されていた劇場公演を休演し、摘出手術と抗がん剤治療に専念しました。過酷な治療に耐え、同年12月にはなんばグランド花月の舞台へ奇跡的な復帰を果たします。やせ細った体を押して舞台に立ち、相方のくるよさんとともに客席を沸かせましたが、翌2015年5月に入って容体が急変。2015年5月28日、大阪府内の病院でくるよさんに手を握られながら、67歳で息を引き取りました。
最愛の相方を失ったくるよさんの喪失感は計り知れないものでしたが、「いくよちゃんのためにも舞台を守る」とピン芸人やテレビ出演で活動を継続。しかし、くるよさん自身もまた病魔に襲われます。くるよさんは持病や体調不良を抱えながら晩年を過ごしていましたが、膵臓がんを患い闘病を続けていました。そして2024年5月27日、大阪市内の病院で76歳で永眠。奇しくもいくよさんの命日前日というタイミングでの旅立ちに、多くの芸人仲間やファンが「天国でいくよちゃんが迎えに来たのではないか」と涙を流しました。
【高校ソフトボール部から始まった運命】名バッテリーが生んだ唯一無二の漫才
ふたりの出会いは、漫才師になるずっと前、高校のグラウンドでした。京都の明徳商業高校(現・京都明徳高校)に入学したふたりは、ソフトボール部で出会います。いくよさんがキャプテンでエースピッチャー、くるよさんが正捕手(キャッチャー)という名バッテリーでした。
全国大会にも出場するほどの強豪校で、泥だらけになって白球を追いかけた青春時代。マウンドとホームベースの間で培われた絶対的な信頼関係こそが、のちのテンポ鋭い漫才の土台となりました。
高校卒業後はそれぞれ別の一般企業に就職し、OLとして社会人生活を送っていましたが、お笑いへの情熱を捨てきれず、元・夫婦漫才師の今喜多代さんに弟子入り。当時の演芸界は完全な男社会であり、女性だけの漫才コンビは極めて異例の存在でした。しかし、高校時代からお互いの呼吸を知り尽くしていたふたりは、厳しい下積み生活も二人三脚で乗り越えていきました。
【上方漫才大賞への栄冠】男社会を切り拓いた吉本興業レジェンドの足跡
1980年代初頭の漫才ブームを機に、彼女たちの才能は一気に全国区へと花開きます。いくよさんの派手なメークと華奢な体型をいじるスタイル、そしてくるよさんの恰幅の良い体型とお腹をポンと叩くコミカルなリアクションは、お茶の間の爆笑をさらいました。
彼女たちの活躍はバラエティ的な面白さにとどまらず、純粋な「話芸」としても高く評価されました。1984年の上方漫才大賞奨励賞、そして1986年には第21回上方漫才大賞の大賞を受賞。吉本興業の女性漫才コンビとして歴史に名を刻む快挙を成し遂げました。
舞台上で繰り出される「どやさ!」という掛け声は、元々は「どうなのよ?」「どうよ?」という京都・関西圏の方言から生まれたもの。くるよさんの圧倒的なキャラクターと相まって国民的流行語となり、世代を超えて親しまれました。
【相方への深すぎる愛】舞台上で見せたお互いを思いやる仲良しエピソード
漫才コンビといえば、私生活では口を利かないというビジネスライクな関係も珍しくありません。しかし、今いくよ・くるよのふたりは生涯を通じて正真正銘の「大親友」であり続けました。
楽屋でも常に一緒に行動し、旅行や買い物に出かける姿は若手時代から晩年まで変わりませんでした。いくよさんががんを告知された際、真っ先に駆けつけて取り乱し、涙を流して抱きしめたのはくるよさんでした。くるよさんはいくよさんの闘病中、病院へ通い詰め、栄養のある食事や身の回りの世話を甲斐甲斐しく支え続けたといいます。
いくよさんの告別式で、くるよさんは棺に取りすがり「日本一の相方や!」「ありがとうな、いくよちゃん!」と絶叫。50年を超える歳月をともに歩んだふたりの絆の深さは、参列したすべての人々の胸を打ちました。
【後輩・中川家との特別な絆】「どやさ」の母が残した温もりと教え
ふたりの人柄を語る上で欠かせないのが、後輩芸人たちへの深い愛情です。特に中川家(剛さん・礼二さん)との絆は、単なる先輩・後輩の枠を完全に超えていました。
中川家が若手時代、精神的なプレッシャーや体調不良で苦しんでいた時期に、親身になって寄り添い支え続けたのがくるよさんでした。食事に連れて行っては「食べや、食べや」とお腹いっぱいご馳走し、母親のように温かい言葉をかけ続けたエピソードは有名です。
くるよさんの訃報に際しても、中川家のふたりは「本当のオカン(母親)を亡くしたよう」と沈痛な面持ちで語り、礼二さんは舞台やメディアで折に触れてくるよさんのモノマネやエピソードを披露し続けています。先輩への恩返しとしてその芸と温もりを後世に伝える中川家の姿に、演芸ファンは深い敬意を寄せています。
【2026年現在の評価】天国で響く笑い声と今なお色褪せない女性漫才の金字塔
2026年を迎えた現在、バラエティ番組や賞レースでは数多くの実力派女性芸人たちが第一線で活躍しています。しかし、その礎を築いたパイオニアが今いくよ・くるよであることは、演芸史における普遍の事実です。
劇場に足を運ぶ観客の間でも、昭和・平成のなんばグランド花月を揺るがしたふたりの爆笑漫才は、アーカイブ映像や回顧特番を通じて再評価され続けています。「女性が舞台でお腹を叩いて笑いを取る」という型破りなスタイルを、品性を失わずに誰もが愛せる芸へと昇華させた手腕は、現代のクリエイターからも高いリスペクトを集めています。
地獄のような闘病生活を互いに支え合い、天国へと旅立ったふたり。雲の上でもきっと、いくよさんの軽妙なツッコミと、くるよさんの響き渡る「どやさ!」の声が響いているに違いありません。
【今いくよ・くるよ】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:今いくよさんと今くるよさんの死因は何でしたか?
A1:今いくよさんは2015年5月28日に胃がんのため67歳で逝去されました。相方の今くるよさんは2024年5月27日に膵臓がんのため76歳で逝去されています。
Q2:ふたりの出会いとコンビ結成のきっかけは何ですか?
A2:京都の明徳商業高校(現・京都明徳高校)のソフトボール部で、いくよさんがピッチャー、くるよさんがキャッチャーとしてバッテリーを組んだことが出会いです。高校卒業後の社会人生活を経て、今喜多代さんに弟子入りし漫才コンビを結成しました。
Q3:有名なギャグ「どやさ」にはどのような意味があるのですか?
A3:京都や近畿地方の方言で「どうなの?」「どんなものよ?」といったニュアンスを持つ日常会話の言葉です。くるよさんが舞台上でお腹を叩きながら威勢よく叫ぶスタイルが定着し、全国的な人気フレーズとなりました。
まとめ:天国でも響き渡る「どやさ!」と二人が遺した笑いの魂
グラウンドのバッテリーから始まり、漫才ブームの頂点、そして過酷な闘病生活まで、半世紀以上もの時間を分かち合った今いくよ・くるよ。ふたりが残した数々の名演と温かな人間ドラマは、時代が移り変わっても色褪せることはありません。
お互いを誰よりも信じ抜き、後輩たちを慈しみ、観客を笑顔にし続けた生涯。彼女たちが切り拓いた女性漫才の道は、これからも後進の芸人たちによって大切に受け継がれていくはずです。 (出典: 今 いくよ くる よ(Yahoo!ニュース))